最高裁判所第一小法廷 昭和54年(あ)340号 判決 1982年4月22日
主文
原判決及び第一審判決中、被告人両名に関する部分を破棄する。
被告人康鳳洙を懲役一年、同裴玉鉉を懲役二年に各処する。
第一審における未決勾留日数中、被告人両名に対し各その刑期に満ちるまでの分をそれぞれその本刑に算入する。訴訟費用中、第一審における証人保泉英嗣、同梅木ツユ子、同中島睦夫、同石川勇作、同細井妙子、同竹村純二、同大山倍達、同守屋義弘(ただし、昭和四七年七月一三日支給分)及び原審における証人金東善、同辛野に各支給した分は被告人裴玉鉉の負担とする。
理由
被告人康鳳洙の弁護人倉田哲治、同青木英五郎(名義)の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であり、被告人裴玉鉉の弁護人中田直人、同渡辺卓郎、同望月千世子の上告趣意のうち、憲法三一条違反をいう点は、実質において刑法六〇条の解釈適用の誤りをいう単なる法令違反の主張であり、判例違反の主張のうち、原判決が被告人裴に関して他人の行為を自己の手段として犯罪を行ったという関係が認められないにもかかわらず共謀共同正犯の成立を認めているとして判例違反をいう点は、原判示にそわない事実関係を前提とする判例違反の主張であり、また、原判決が共謀共同正犯における共謀について日時、場所等を具体的に認定判示していないとして判例違反をいう点は、所論引用の判例は、共謀共同正犯における共謀は罪となるべき事実でありこれを認定するには厳格な証明によらなければならないとしているが、厳格な証明によって共謀が成立したことが認定される場合に更にその日時、場所、内容等を具体的に特定して判示することまで要するとしているものでないから、右各判例違反の主張はいずれも前提を欠き不適法であり、その余の点は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、すべて刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
しかしながら、所論に鑑み職権をもって調査すると、原判決及び第一審判決は以下に述べる理由から破棄を免れない。
原判決は、第一審判決が被告人両名に関する罪となるべき事実として摘示した同判決第二、第三及び第五の各背任の所為はこれを包括して一個の背任罪を構成すべきものであると解したうえ、右各事実のうち第二(ただし、第一審判決末尾に添付してある犯罪事実一覧表(二)の整理番号33の事実を除く。)及び第五の各事実については、被告人両名がこれらの犯行を原判示の金東善及び菅沼正男と共謀して遂行したという証拠は右金東善の供述をおいて他になく、右供述はそれ自体矛盾撞着し不自然不合理なところがあるばかりか重要部分について客観的事実と明らかに相違し到底信用することができないから、これを措信して右各事実につき被告人両名と金東善、菅沼正男との共謀の成立を認定した第一審判決は、証拠の評価を誤り事実を誤認したものであるとして、右各事実について被告人両名を無罪とする一方、前記第二の犯罪事実一覧表(二)の33の事実及び同第三の各事実(以下、これらを単に「本件事実」と略称する。)については、右各事実の証拠である金東善の供述は菅沼正男の供述と部分的ながら符合しているうえ、その一部について被告人康自身も自認していることなどに照らして信用することができ、これによって被告人両名が金東善及び菅沼正男と共謀してこれらを敢行したものであることが優に認められるから、本件事実について被告人両名を有罪とした第一審の判断は相当であると判示している。
ところで、原判決が被告人両名において本件犯行に共謀加功したと認めるべき証左として述べるところは、要するに、被告人両名が、その勤務する株式会社トムソン(以下、単に「トムソン」と略称する。)の営業が極度に不振で殆んど正常な業務を停止した状態にあるにもかかわらず、これに対して前記菅沼正男を介し同人の勤務する株式会社富士銀行雷門支店から巨額の融資がされており、しかもその態様が担保の徴求などを全く欠き通常の取引形態から著しく逸脱したもので、いずれにしても回収困難ないし回収不能に陥ることが必定のものであることを熟知しながら、前記金東善と相謀り、右菅沼正男を通じて更に二〇億円という桁外れに多額の貸出しを受けることを企図したこと、右融資の謝礼として右同人に五億円のリベートを提供することとし、昭和四五年二月六日ころ、前記トムソン社長室において、被告人両名及び金東善の三名が共同して右五億円を小切手五〇枚に分割して作成したこと、被告人康において、翌七日ころ、これを富士銀行雷門支店の前記菅沼正男の許まで持参して同人に手渡し、その際同人に対し、トムソンはあと二〇億円必要でありこれを必要とする理由はのちほど金東善から説明するが兎に角二〇億円の貸出しを考慮されたいなどと申し向け、更にその後しばしば電話で右融資の実行方を促したこと、被告人裴において、同年三月四日ころ、前記金東善と共に右菅沼正男をホテル・オークラに呼び出し、同所において、金東善とこもごもトムソンが二〇億円を必要とする理由について具体的に説明し、その際右金東善がさきに渡した小切手は菅沼において自由に使って欲しいなどと申し向け強力に融資実行の要請をしたこと、ここにおいて右菅沼正男も被告人らの要請に応じることとし、このような多額の不正融資を支障なく遂行するためには東京都以外の銀行に架空人名義口座を開設してそこに順次送金する方法を採るのが便宜であると提案し、これに被告人裴及び金東善が同意したこと、以上の諸事実は証拠上動かし難く、これらによれば被告人両名が前記金東善及び菅沼正男と共謀して本件犯行に及んだことが明白であるというのである。
しかしながら、原判決の右認定事実のうち、被告人康において、額面総額五億円の前記小切手を菅沼正男に届けたこと、更にその際口頭で、またその後は電話で、右同人に対し再三に亘り新規貸出しを要請したこと、被告人裴において、金東善が右菅沼正男をホテル・オークラに呼び出し二〇億円の新規融資を要請した際、これと同席しトムソンが二〇億円を必要とする根拠を具体的な事業計画を示しながら説明したこと、以上の諸事実が証拠上明認できるという限りにおいては原判決の認定は正当と認められるが、その余の事実、とりわけ次の諸点に関する原判決の認定・判断は、第一審及び原審における菅沼正男の供述その他関係各証拠を勘案すると判底首肯し難いものがあるといわなければならない。
すなわち、
一 原判決は、被告人両名において五億円の謝礼小切手を菅沼正男に提供するのと引換えにトムソンに二〇億円の新規融資をさせることを前記金東善と共謀したこと、並びに被告人両名及び金東善の三名がトムソン社長室において右謝礼小切手合計五〇通を共同作業により作成したことを認定しているが、この点に関する証拠としては僅かに金東善の供述があるだけであって、被告人両名は捜査の当初から右事実を一貫して否定し、五億円の謝礼を提供して二〇億円の融資を受けるという話合いは専らトムソンの社長である金東善と富士銀行雷門支店の副長兼外国為替係長である菅沼正男の二人だけの間で行われ、五億円の謝礼小切手の作成も金東善が単独でしたものであると主張しているから、原判決の認定する右のような事実が果して存在したか否かは一にかかって右金供述の信用性に依存しているところ、右五〇通の小切手のうち現存する一六通(当裁判所昭和五六年押第二六号の二二)の金額欄の打痕の特徴(なお、警視庁技術吏員小林侑作成の鑑定書参照)、被告人康及び金敏光の捜査官に対する各供述などによれば、右各小切手はいずれも金東善の内妻(当時)東野花子に所有するチェック・ライターで打刻されていること、そして右チェック・ライターがトムソン会社内に持ち込まれた事実はないことが認められるから、これら小切手がトムソン社長室において作成されたとする金東善供述は虚偽であるといわざるをえず、右金供述がトムソン社長室における小切手作成状況を余りにも具体的・詳細に生生しく述べているだけに、同供述の他の部分についてもその信用性に多大な疑念を生ぜしめることになるというべきである。
そして、このことは、単に謝礼小切手がトムソン社長室で作成されたとする原判決の認定が誤りであるというにとどまらず、原判決が、右謝礼小切手を被告人両名及び金東善が三人がかりでトムソン社長室において作成したという事実をもって、本件事実がトムソンの会社ぐるみの犯行であって資金担当取締役である被告人康や地区トムソン担当取締役である被告人裴も金東善と共同して本件犯行を遂行したことの徴憑として位置づけている基本的な構成そのものを揺がし、それが金東善の個人的な利を図る目的に出た犯行であるとする被告人両名の主張がむしろ真実に合致するのではないかという疑いすら生ぜしめるのである。
二 次に、原判決は、被告人裴において金東善及び菅沼正男とのホテル・オークラでの話し合いに同席し、本件融資金を受け入れるため東京都外の銀行に架空人名義口座を開設することに同意した旨認定するが、証拠によれば、その後横浜市内の七銀行に架空人名義口座が開設されているところ、右開設手続はすべてトムソンと何ら関係のない前記東野花子が金東善の指示により行っており(この事実は金東善自身も認めている。)、右口座の入・出金は菅沼正男、金東善ないし東野花子のいずれかがし、被告人両名は右口座開設手続に関与した事実がないのは勿論のこと、口座の入・出金にもかかわったことの確たる証跡も窺われないことに徴すると、右横浜七行口座は金東善個人の私的な隠し口座である疑いが強く、遡って右口座開設に被告人裴が参画したとの事実も存在しないのではないかとの疑いを生じ、この疑いは原判決の前記認定に合理的な疑いを生ぜしめるものといわなければならない。
三 そして更に、この点は原判決も正当に認定しているところであるが、本件事実によって形式上トムソンに貸し出された総額八億一千六百万円余りの金員について、被告人康は一円もその分け前にあずかっておらず、被告人裴もその分け前にあずかったとの確証がない。
そして、トムソン自体が右融資金をその本来の事業目的に使用したという証跡はないのである。
このようにみてくると、五億円の謝礼と引換えに二〇億円の融資を得るという本件の筋書きは、金東善個人によって発案、推進され、融資金の主たる受け皿である横浜七行口座の開設、運用もまた金東善個人によってされたのではないか、という疑いがあり、本件は、被告人両名が供述するように、専ら金東善が個人の利得を収める目的をもってしたもので、被告人両名が金東善と共謀して同人らの利得を意図してしたものでないという疑いが強い。
以上のような見地に立って、被告人康が五億円の小切手を菅沼正男の許まで届け、かつ再三にわたって新規融資を要請し、被告人裴が菅沼正男に対しホテル・オークラで二〇億円の資金需要の根拠を説明したという、前記の証拠上明認することができる事実をみると、以上の被告人両名の所為は、金東善の個人会社ともいうべきトムソンに雇われ、資金面を担当していた被告人康において、社長である金東善の命をうけて融資側に立つ菅沼正男に対し資金貸出しを要請し、また、地区トムソン設立など営業面を担当していた被告人裴において、同じく社長である金東善の命をうけ自己の分担事務である事業計画の内容を説明したにとどまるものとみるのが合理的であり、このことは、菅沼自身第一審及び原審における公判廷で供述しているように同人が被告人両名を単に金東善の使者ないしトムソンの単なる事務担当者として遇し、例えば被告人康の二〇億円融資要請も単に聞き流してしまっている事実によっても裏付けられるのである。
してみると、被告人両名の右所為は、金東善や菅沼正男らと共謀し、かつ、その共謀に基づいて本件背任罪の犯行を遂行したというに足りないものというべきであり、右金東善のために、同人の犯行を容易ならしめるべくこれを幇助したにとどまるものと認めるのが相当である。
したがって、原判決が、安易に金東善の供述の信用性を肯認し、右供述等に基づいて被告人両名が本件背任罪の共謀共同正犯であるとしたのは、証拠の評価を誤り、事実を誤認し、ひいては刑罰法令の適用を誤った違法があるというべきであり、右違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかであり、本件において原判決及び原判決の支持する第一審判決を破棄しなければ著しく正義に反するものというべきである。
よって、刑訴法四一一条一号、三号により原判決及び第一審判決を破棄し、同法四一三条但書に従い被告事件について更に判決することとするが、第一審判決が摘示する被告人両名に関する罪となるべき事実のうち本件事実以外の部分は既に原判決の理由中において無罪とされ、これに対して検察官から上告の申立がなく当事者間において攻防の対象からはずされたものとみるべきであるから(最高裁昭和四一年(あ)第二一〇一号同四六年三月二四日大法廷決定・刑集二五巻二号二九三頁、同四二年(あ)第五八二号同四七年三月九日第一小法廷判決・刑集二六巻二号一〇二頁参照)、この部分については原判決の無罪の結論に従うものとし、原判決が肯認した第一審判決の有罪部分についてのみ次のとおり判決する。
第一審判決及び原判決の挙示する証拠によれば、被告人両名は、金東善及び菅沼正男が共謀して第一審判決の罪となるべき事実第二のうち同判決末尾に添付してある犯罪事実一覧表(二)の33の事実及び同第三の事実の各背任の犯行をするに際し、その情を知りながら、右金の指示に従い、被告人康において昭和四五年二月七日ころ右不正融資をすることの謝礼の趣旨で額面総額五億円の小切手五〇通を台東区浅草雷門二丁目一一番一六号富士銀行雷門支店において右菅沼に手渡し、かつ、そのとき及びその後に前後数回にわたり電話等でトムソンに対する二〇億円の融資の実行方を求め、被告人裴において同年三月四日ころ、東京都港区虎の門二丁目一〇番地ホテル・オークラにおいて、右金と同席して前記菅沼に対し、トムソンにおける二〇億円の資金需要の理由根拠について具体的な事業計画を示して説明するなどして右金のした貸出し要請を補強し、もって右金が菅沼とした前記背任の犯行を容易ならしめて、これを幇助したものである。
法令に照らすと、被告人両名の所為は包括して刑法二四七条、六二条一項、六五条一項、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、所定刑中懲役刑を選択し、右は従犯であるから刑法六三条、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人康を懲役一年、同裴を懲役二年に各処し、同法二一条により第一審における未決勾留日数中被告人両名に対し各その刑期に満ちるまでの日数をそれぞれその本刑に算入し、訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文により第一審及び原審における証人中主文掲記の者に支給した分を被告人裴に負担させることとし、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 谷口正孝 裁判官 団藤重光 裁判官 藤崎萬里 裁判官 本山 亨 裁判官 中村治朗)